「桃花源記」の素敵なアニメ
2014-02-04
先日、私の愛読書のなかで真っ先に挙げた、陶淵明の「桃花源記」
ご存じのとおり、桃源郷の物語で、ある漁師が小舟で途に迷って川を上流の方に漕ぎ進んで行ったら、桃の花がたくさん咲いているところの奥に見知らぬ村があって・・・というお話。
不思議と心の琴線に触れるものがあるんですよね。
これについて、とても素敵はアニメ動画がYOUTUBEにアップされているので、ご紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=ZHPQchQgTVc
ご存じのとおり、桃源郷の物語で、ある漁師が小舟で途に迷って川を上流の方に漕ぎ進んで行ったら、桃の花がたくさん咲いているところの奥に見知らぬ村があって・・・というお話。
不思議と心の琴線に触れるものがあるんですよね。
これについて、とても素敵はアニメ動画がYOUTUBEにアップされているので、ご紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=ZHPQchQgTVc
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つげ義春が芸術新潮に!
2014-02-02
美文字ブーム
2013-10-22
ここのところ美文字ブームだそうですね。今日の新聞(読売)に載っていました。

(画像をクリックすると拡大表示されます)
実は私も1か月くらい前から「美文字練習帳」というのを買って練習しているんです。
一応1か月で一通り終わって身に付くような練習プログラムになっているのですが、まだ半分くらいしか進んでおらず、身に付きつつあるのかどうかも、よくわかりません。
でも私は、今日新聞を読むまで、世間がそのようなブームであることは知りませんでした。
私が文字を練習しようという気になったのは、3か月ほど前、ふとしたことで万年筆を手に入れたのが、そもそものきっかけです。それまでボールペンで書いていた日記を万年筆で書くようになったのですが、そうすると書くこと自体がすごく楽しくなって、そのうちに、もっと美しい字で書けたらいいなあと思うようになりました。それで練習を始めたのです。
ですから世間のブームに影響されたわけではなくて、自分が興味を持ったことが、気が付いたら世間でもブームになっていたというわけです。
私、そんなことがわりとあるような気がするんですが、皆さんはそんなことありませんか。
これって、カール・ユングの言う、集合的無意識のなせることなのかなあと思ったりします。
ともあれ、万年筆を使うようになって、字を書くことがこんなに楽しいということを、初めて知りました。
日記の量が、ボールペンで書いていた時の3倍くらいになりました。

(私のお気に入りの万年筆たち。あれよあれよという間に、こんなに増えてしまいました。でも1本1,000円から、高いものでも1万円まで。モンブランやペリカンは持ってません)

(画像をクリックすると拡大表示されます)
実は私も1か月くらい前から「美文字練習帳」というのを買って練習しているんです。
一応1か月で一通り終わって身に付くような練習プログラムになっているのですが、まだ半分くらいしか進んでおらず、身に付きつつあるのかどうかも、よくわかりません。
でも私は、今日新聞を読むまで、世間がそのようなブームであることは知りませんでした。
私が文字を練習しようという気になったのは、3か月ほど前、ふとしたことで万年筆を手に入れたのが、そもそものきっかけです。それまでボールペンで書いていた日記を万年筆で書くようになったのですが、そうすると書くこと自体がすごく楽しくなって、そのうちに、もっと美しい字で書けたらいいなあと思うようになりました。それで練習を始めたのです。
ですから世間のブームに影響されたわけではなくて、自分が興味を持ったことが、気が付いたら世間でもブームになっていたというわけです。
私、そんなことがわりとあるような気がするんですが、皆さんはそんなことありませんか。
これって、カール・ユングの言う、集合的無意識のなせることなのかなあと思ったりします。
ともあれ、万年筆を使うようになって、字を書くことがこんなに楽しいということを、初めて知りました。
日記の量が、ボールペンで書いていた時の3倍くらいになりました。

(私のお気に入りの万年筆たち。あれよあれよという間に、こんなに増えてしまいました。でも1本1,000円から、高いものでも1万円まで。モンブランやペリカンは持ってません)
つげ義春のこと(2)
2009-11-02
もうすこし、つげ義春のことを書こうと思うのだけれど、彼について、こんなことが書かれているのを読んだことがある。
(つげ義春「蟻地獄・枯野の宿」(新潮文庫)の高野慎三氏の解説の文中)
『かつて著者(つげ義春)は、私(高野氏)の質問に答えて、創作意欲というようなものはない、と言い切った。「自分は金があれば描かないんです」ということであった。
だが、この「金があれば」ということばを経済的に余裕があるという意味にとらえると大間違いである。著者にとって、(中略)大金はほとんど意味をなさない。したがって「金があれば」というのは、「生活できれば」ぐらいのことだ。』
へえ、そうなのか、と私は思った。
しかし考えてみると「創作意欲」っていうのは、いったい何なのだろう。
もの作りに携わっている人には創作意欲が必要不可欠のものであると、世間の大抵の人が思っている。
しかし本当にそうだろうか。
本当に必要なのは、創作能力であって、創作意欲ではないのではないか。
ひるがえって、自分の建築設計という仕事を考えてみたとき、そう思うのだ。
なまじ創作意欲などというものがあるから、施主のお金でつくる施主の住まいにおいて、自分の表現意欲を満足させようというような、そしてそれを世間に売り込もうという
ようなスケベエ心が働くのではないか。
建築家に必要なのは、知識と経験と理解力と責任感であって、創作意欲(ましてや表現意欲)などというものは無い方がいいのではないか、そんな気がする。
なお、つげ氏は1986年に49歳で「無能の人」6部作を書き終えたあと、2,3の作品を書いたのを最後に、現在まで20年以上、新作を一切発表していない。
それは、彼の作品がそのころ認められて、文庫本化などされ、それによってきっと「金がある」=「生活できる」状態になったからだろう。
そういうクールさが、私はやっぱり好きだ。
そういう彼の“生き方観”とでもいうものは、やはり彼の漫画作品(中でも「無能の人」6部作)に色濃く表れ、読む私を安心させてくれるのだ。

(つげ義春「蟻地獄・枯野の宿」(新潮文庫)の高野慎三氏の解説の文中)
『かつて著者(つげ義春)は、私(高野氏)の質問に答えて、創作意欲というようなものはない、と言い切った。「自分は金があれば描かないんです」ということであった。
だが、この「金があれば」ということばを経済的に余裕があるという意味にとらえると大間違いである。著者にとって、(中略)大金はほとんど意味をなさない。したがって「金があれば」というのは、「生活できれば」ぐらいのことだ。』
へえ、そうなのか、と私は思った。
しかし考えてみると「創作意欲」っていうのは、いったい何なのだろう。
もの作りに携わっている人には創作意欲が必要不可欠のものであると、世間の大抵の人が思っている。
しかし本当にそうだろうか。
本当に必要なのは、創作能力であって、創作意欲ではないのではないか。
ひるがえって、自分の建築設計という仕事を考えてみたとき、そう思うのだ。
なまじ創作意欲などというものがあるから、施主のお金でつくる施主の住まいにおいて、自分の表現意欲を満足させようというような、そしてそれを世間に売り込もうという
ようなスケベエ心が働くのではないか。
建築家に必要なのは、知識と経験と理解力と責任感であって、創作意欲(ましてや表現意欲)などというものは無い方がいいのではないか、そんな気がする。
なお、つげ氏は1986年に49歳で「無能の人」6部作を書き終えたあと、2,3の作品を書いたのを最後に、現在まで20年以上、新作を一切発表していない。
それは、彼の作品がそのころ認められて、文庫本化などされ、それによってきっと「金がある」=「生活できる」状態になったからだろう。
そういうクールさが、私はやっぱり好きだ。
そういう彼の“生き方観”とでもいうものは、やはり彼の漫画作品(中でも「無能の人」6部作)に色濃く表れ、読む私を安心させてくれるのだ。

つげ義春のこと(1)
2009-11-01
私は漫画とか劇画というのは、あまり読まないのだけれど、だだ一人、大好きな漫画家がいる。
つげ義春である。
彼のことを知るようになったのは、竹中直人が監督&主演をした映画「無能の人」(1991年)のDVDをレンタルで借りて見てからである。
この映画が、たいへんおもしろかったので、原作の漫画を買って読んでみた。
そしたら映画以上におもしろく、強く惹かれてしまった。
映画の原作になった「無能の人」6部作(「石を売る」「無能の人」「鳥師」「探石行」「カメラを売る」「蒸発」)は、ある意味で、私の人生ののバイブルでもある。
というよりも、主人公の助川助三は、私そのものであるような気がするのだ。

その他にも「紅い花」「義男の青春」「海へ」「ほんやら洞のべんさん」「長八の宿」「池袋百点会」など、詩情とペーソスにあふれ、たかがマンガなのに何度読んでも飽きない。
私の好きな浅田次郎の短編小説(たとえば「霧笛荘夜話」)や、劇団ひとりの「陰日向に咲く」などと共通するものを感じる。
まだ読んだことのない方は、ぜひ読んでみてください。
(ただ、私の妻などは映画「無能の人」を見て、「何、この貧乏くさい映画。貧乏がうつる~、いや、いや!」」と散々だったが・・・。)
つげ義春である。
彼のことを知るようになったのは、竹中直人が監督&主演をした映画「無能の人」(1991年)のDVDをレンタルで借りて見てからである。
この映画が、たいへんおもしろかったので、原作の漫画を買って読んでみた。
そしたら映画以上におもしろく、強く惹かれてしまった。
映画の原作になった「無能の人」6部作(「石を売る」「無能の人」「鳥師」「探石行」「カメラを売る」「蒸発」)は、ある意味で、私の人生ののバイブルでもある。
というよりも、主人公の助川助三は、私そのものであるような気がするのだ。

その他にも「紅い花」「義男の青春」「海へ」「ほんやら洞のべんさん」「長八の宿」「池袋百点会」など、詩情とペーソスにあふれ、たかがマンガなのに何度読んでも飽きない。
私の好きな浅田次郎の短編小説(たとえば「霧笛荘夜話」)や、劇団ひとりの「陰日向に咲く」などと共通するものを感じる。
まだ読んだことのない方は、ぜひ読んでみてください。
(ただ、私の妻などは映画「無能の人」を見て、「何、この貧乏くさい映画。貧乏がうつる~、いや、いや!」」と散々だったが・・・。)
「霧笛荘夜話」に思う
2009-10-01
浅田次郎の短編が好きで、殆どの本を単行本で買って持っている。
「鉄道員(ぽっぽや)」を初めて読んだときは、不覚にも涙がぽろぽろこぼれた。
その浅田の短編集の中でも、一番好きなのが、「霧笛荘夜話」だ。
霧笛荘というレトロなアパートを舞台に、その家主の老女と住人達の物語が展開するが、著者が描写するその建物の懐かしい雰囲気がとても良く、自分もこんなところに住んでみたいなあと思わせる。
私は、住宅の大切な要素の一つが、“懐かしさ”だと思っている。
それがそこに住む人の心を慰め豊かにする。
だから古いものは大切にしなければならないし、大きな価値があるのである。
そしてまた、私たちが設計し建築する新しい住まいであっても、そこになにか住み手にとって懐かしいものが感じられるといい。
またそこで大きくなる子どもたちにとっても、大人になったとき、その空間を懐かしく思い出すことのできるものでありたい。
その懐かしさというものは、住み手にとってみな違っていると思うが、設計のときの打ち合わせによって、それを上手く引き出せて、実現することができればいい。
そういうことを心に留めて、そしてそれを実現できるような建築家でありたい。
だから建築家は新しいものを創る立場でありながら、古いものも守ろうとするのである。

・・・浅田次郎 「霧笛荘夜話」 (角川書店)
「鉄道員(ぽっぽや)」を初めて読んだときは、不覚にも涙がぽろぽろこぼれた。
その浅田の短編集の中でも、一番好きなのが、「霧笛荘夜話」だ。
霧笛荘というレトロなアパートを舞台に、その家主の老女と住人達の物語が展開するが、著者が描写するその建物の懐かしい雰囲気がとても良く、自分もこんなところに住んでみたいなあと思わせる。
私は、住宅の大切な要素の一つが、“懐かしさ”だと思っている。
それがそこに住む人の心を慰め豊かにする。
だから古いものは大切にしなければならないし、大きな価値があるのである。
そしてまた、私たちが設計し建築する新しい住まいであっても、そこになにか住み手にとって懐かしいものが感じられるといい。
またそこで大きくなる子どもたちにとっても、大人になったとき、その空間を懐かしく思い出すことのできるものでありたい。
その懐かしさというものは、住み手にとってみな違っていると思うが、設計のときの打ち合わせによって、それを上手く引き出せて、実現することができればいい。
そういうことを心に留めて、そしてそれを実現できるような建築家でありたい。
だから建築家は新しいものを創る立場でありながら、古いものも守ろうとするのである。

・・・浅田次郎 「霧笛荘夜話」 (角川書店)
河井寛次郎記念館
2009-09-12
先日、京都にある河井寛次郎記念館を訪れた。
陶芸家の河井寛次郎(1890~1966)が、47歳のときに、自ら設計した自邸兼仕事場である。
外観は普通の町屋のように見えるが、中に入ると、かなり広い敷地を使って、中庭を中心に、自由な空間構成がなされている。
意匠的には、一般的な町屋あるいは民家風の伝統的なものであり、奇を衒ったところや、とりすましたところ、あるいは名士の邸宅などに時おり見られる権威主義的な雰囲気などは皆無であるが、吹抜け、中庭、スキップフロアなどといった、近代的とも言える建築構成上のエレメントによる各室の配置と全体の構成が自由闊達で、住宅建築としては、たいへん優れたものだと思う。
各室と中庭など外部空間との関係も、よく考慮されており、明るく開放的で気持ちが良い。
河井寛次郎は、建築の専門家ではないはずだが、それでいてこれだけの設計ができるとは、にわかに信じがたいことである。
やはり芸術に対する確かな目は、陶芸にも建築にも、活かされるものなのだろう。
写真の掲載は問題があるといけないので、外観だけにしておくが、この建物の持ち味は、その立体的構成と“気持ちのよさ”にあるので、写真では味わうことができない。ぜひ現物を見てほしいと思う。

・・・撮影:助川一人(スタジオひとり)
河井寛次郎記念館のサイトは
http://hcn.plala.or.jp/fc211/sagi/
(ただし、そのサイトにある建物の写真は、たいへん下手です。)
陶芸家の河井寛次郎(1890~1966)が、47歳のときに、自ら設計した自邸兼仕事場である。
外観は普通の町屋のように見えるが、中に入ると、かなり広い敷地を使って、中庭を中心に、自由な空間構成がなされている。
意匠的には、一般的な町屋あるいは民家風の伝統的なものであり、奇を衒ったところや、とりすましたところ、あるいは名士の邸宅などに時おり見られる権威主義的な雰囲気などは皆無であるが、吹抜け、中庭、スキップフロアなどといった、近代的とも言える建築構成上のエレメントによる各室の配置と全体の構成が自由闊達で、住宅建築としては、たいへん優れたものだと思う。
各室と中庭など外部空間との関係も、よく考慮されており、明るく開放的で気持ちが良い。
河井寛次郎は、建築の専門家ではないはずだが、それでいてこれだけの設計ができるとは、にわかに信じがたいことである。
やはり芸術に対する確かな目は、陶芸にも建築にも、活かされるものなのだろう。
写真の掲載は問題があるといけないので、外観だけにしておくが、この建物の持ち味は、その立体的構成と“気持ちのよさ”にあるので、写真では味わうことができない。ぜひ現物を見てほしいと思う。

・・・撮影:助川一人(スタジオひとり)
河井寛次郎記念館のサイトは
http://hcn.plala.or.jp/fc211/sagi/
(ただし、そのサイトにある建物の写真は、たいへん下手です。)