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屋根裏というのは、もともとそこに空間が存在するので、そこに部屋をしつらえても、ほとんどお金がかかりません。
これは絶対に使わなければ損ですので、私の設計室では大いに利用するようにしています。
むしろ屋根裏を部屋として使うという前提で、屋根の形を決めたりすることが多いです。

当然のことながら天井は低いですし、斜めです。窓も十分に取れないこともあります。
でもそんな空間が、ことのほか面白いんですよね。
落ち着くというか。籠る楽しみ。

もちろん明るくてオープンな空間もいいんですが、人間って必ず籠る習性も持っているので、家中どこもかしこも明るいオープンだと、かえって安らげないと思います。
だから、籠れる空間って、私は本当は大切なものだと思うんです。
せっかく一戸建て住宅を建てるんだったら、そんなスペースを作らない手はありません。

で、そんな例をいくつか。



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これは、超オーソドックスな屋根裏部屋。
でもガラスブロックの小窓がいいでしょう。
満月の晩など、ここから入ってくる月明かりで、この空間は不思議な雰囲気を醸し出します。



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この屋根裏部屋は、前に屋上を設けていて、そこに出入りができます。
明るいですし、しかもプライバシーは十分で、個人の書斎などとして、一般室と同じくらいに快適に、しかも落ち着いて使えます。



@子供室ロフトa

これは、部屋自体としては狭いのですが、屋根が形状を利用して立体的な構成を行っています。
これまた、なにかおもしろい使い方ができそうだと思いませんか。



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これは「隠れ家」へ通じる階段の例。
屋根裏部屋に行くためには、どうしても階段が必要になりますが、できるだけ場所をとらないようにするために、コンパクトにして、ちょっと急な勾配にすることが多いです。でもそれが、かえって「隠れ家」へ通じるわくわく感を高めることになるんです。



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これは何?・・・秘密です。
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なんだ、これは。とお思いでしょうが、これは部屋の中の部屋です。
施主さん(Aさん)の個人スペースなのですが、部屋の中にあえて小さな部屋を作っています。
そしてロールスクリーンで、まるで昔の「御簾の内」のように仕切られるようになっています。
(写真では、一部だけ巻き上げています。)

念のため申し上げておきますが、これはれっきとしたAさんご本人からの要望です。
Aさんは、狭い部屋にこもって、本を読んだり、寝転がったり、考え事をしたりしたかったのです。
それができるスぺースが、彼の家の第一要求でした。(ちなみに彼は、医師です。)
これは変でしょうか?私は全然変だとは思いません。きわめてまっとうで、共感できる要望ではないでしょうか。
そしてこのような部屋ができました。

部屋は広いのが良くて、天井が高いのが良くて、明るいのが良い、という世間の常識(こんなことは、いわれなき常識で、真実でもなんでもありませんが)、それに対するアンチテーゼのようなこの空間は、しかしクライアントにとっては、かけがえのない居場所です。
この空間は家の一部でありながら、Aさんにとっては、全世界に対峙して存在しています。
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以前、何のCMだったか、縁側のようなところで中年息子役の岸部一徳が、なんだかうだうだと蘊蓄を垂れると、横にすわっていた老父役の大滝秀治が「つまらん!おまえの話はつまらん!」と一喝するコマーシャルがあった。
けっこう印象的で、私はおかしがるとともに、これって家のCMに使えるぞと思ったものだ。
すなわち、息子が新居を建てて、訪れた老父に、うだうだと蘊蓄を垂れて自慢しかけると、父親が「つまらん!おまえの家はつまらん!」と一喝するのだ。
これはなかなかいけるぞと思ったが、そんなコマーシャルは現れなかった。当たり前か。

ところで私の父は56歳で亡くなったので(私はその時28歳)あの岸部と大滝のような中年息子と老父という関係を持つことはできなかった。
しかし、もしもっと長生きして、私の設計した家を見て「つまらん!おまえの設計はつまらん!」と言ったとしたら、それもなかなかいいものだったかもしれない。
(もっともその役は、今では私の妻-パートナーの安田倫子-が引き受けることになったのだが)

私がそんなことを考えたりするのは、やはり私は、「家というものは、つまらないものであってはつまらない、おもしろいものでなくては」と思うからだ。

でも「おもしろい」と言うとよく誤解されるのは、それが「奇抜」ということと同義と受け取られることだ。
「おもしろい」というのは「奇抜」とは違う。
他人から見れば「奇抜」に見えたとしても、建て主(施主)本人にとっては決してそうではなく、まじめに自分の思いを実現させていった結果だ。

もうひとつ「ひとりよがり」の類似語と受け取られることもある。
これについては、その「おもしろさ」が建て主の思いを無視した設計者のひとりよがりであってはいけないのだけれど、建て主本人は大いに「ひとりよがり」であっていいと私は思っている。

ただ、「おもしろい」ということが「奇抜」とか「ひとりよがり」に陥らないためには、そこに品位というものが存在するかどうかによる。この点は重要だ。

たとえば絵画ならモネにしてもルノアールにしても、音楽ならブラームスにしてもチャイコフスキーにしても、それらの作品は当時としては「奇抜」とか「ひとりよがり」と感じられたかもしれない。しかしそれが長い年月に耐えて、人の心を癒す大切でかけがえのないものとして残ったのは、そこに品位というものがしっかりと保持されていたからである。

それは住まいの設計についても同様で、いつまでも住み手の心に働きかけ、癒す力を持ち、かけがえのないものになるためには、品位が保持されていることが重要だ。
私の言う「おもしろい」ということには、必ずその奥に品位ということが存在していることを前提としている。

さて、ではどういう家が「つまらない」かというと、それは建売住宅とかハウスメーカーの住宅とかが、その典型である。つまり万人向けの、あたらずさわらず、可もなく不可もない家のことだ。(ほんとうは不可のことも多いので、それは私の拙文「ここがおかしい日本の住まい」をお読みいただきたい)

しかしそれなら建築家(設計事務所)が設計した家は「おもしろい」のかというと、そうとも言えない。
皆さんも感じておられるかもしれないが、設計事務所が建てた家にも、実に画一的であり、おもしろみに欠けるものが多い。
その特徴としては、「ストイック」(禁欲的)と「気取り」というの二つの傾向があげられよう。
私の言う「おもしろい」というのは、これらに対するアンチテーゼでもある。
すなわち、もっと豊かで、楽しくて、大胆で、思いっきりがよくて、心の解放をもたらすような家ということだ。

但し、いま心の解放と言ったが、それは開放的な空間と作るいうことではない。
私がこれまで作った家には、音楽室、地下室、屋根裏部屋などがある。それらは閉鎖的空間であるが、その中にいることが心の解放をもたらすことになりうる。


と、ここまで、うだうだと書いてきたが、読んだ方は「つまらん!おまえの話はつまらん!」と仰っているかも知れない。その確率は70%くらいあるのではないかと思う。
そこで私は、話はこれくらいにして、これまで設計してきたいろんな家の中から、私の言う「おもしろい」例を、順次ご紹介していくことにしよう。

(次回に続く)
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