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先日、法隆寺へいってきました。パートナーの安田倫子女史も同行。
なぜ法隆寺へ行きたくなったかと言うと、最近「法隆寺の謎を解く」という本を読んだからです。著者の武澤秀一氏は建築家なので、建築を設計する人から見た法隆寺論ということでが、たいへん興味深く読みました。

で、何が法隆寺の謎かというと、色々あるのですが、一番のメインの謎は、中門の中央に柱が建っていて(下の写真参照)、このような設計は日本のお寺に一つもないということ。

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これは昔から謎とされていて、いくつかの説が出ていたのですが、一番センセーショナルだったのが、梅原猛が「隠された十字架」という本で打ち出した、聖徳太子一族鎮魂説です。これは有名な説なので、ご存知の方も多いかもしれませんが、聖徳太子の死後、その息子の山背大兄皇子が、皇位継承のトラブルから蘇我入鹿の軍勢の襲撃を受け、斑鳩寺(聖徳太子の私寺だった)にて家族全員、女子供まで自害して絶えた。その後、その祟りを恐れた者たちが、聖徳太子一族の魂を鎮めるために法隆寺を造り、怨霊をそこに封じ込めるために、門を封印するという意味で、中門の中央に柱を建てたというものです。

この梅原説に対して、武澤氏は真っ向から反論しています。その理由や根拠などは、推理小説の謎解きのように面白いので、興味のある方は、ぜひ本を読んでいただきたいと思いますが、要するに、機能上のこととデザイン上のことで、そのようにしたのだというわけです。この機能とデザインに理由を収斂させるところが、いかにも建築家の論で、私としては面白かったし、梅原説よりも納得できるところが多かったです。
それで私としては、この武澤説を検証すべく法隆寺を訪れたわけですが、そこで奇しくも私は、中門の柱についての全く新しい説、安田倫子説に遭遇することになりました。

安田倫子女史によると、「そんなん、真中に柱がある方がしっかりするから、そうしたんとちゃうん。」ということで、その根拠としては、柱の下部で柱を支えている礎石に形に注目したのです。中門の柱は10本あるので、礎石も10基あるのですが、それぞれの礎石の形が、みんな違っていて、形がいびつで、大きさもまちまちで、要するに、その辺にあった手ごろな石(といってもけっこう大きいが)を持ってきて適当に置いたのだというわけです。
なるほど、そう思ってみますと、その通りです。中門はメインの出入り口なのですから、礎石が皆そろっている方が格好がいいし、それに形もばらばらで、大きさもまちまちなら、つまづきやすいです。
であるにもかかわらず、そのような石が使われているのはなぜか。その理由を安田女史は「昔の人は大らかだった」と一言のもとに決定づけるわけです。設計者も施工者も、そして建築主もおおらかであって、当時は石を運んだり切ったりするのは大変な労力を必要としたはずだから、「そんな無理せんでええやん、適当でええやん。」という感覚のもとに、このような礎石が使われたのだというわけです。

そして、この大らかさは、礎石のみならず、中門の設計および施工にも同様に発揮され、当時の設計者や施工者曰く「まあ大体このお寺だったら、これくらいの大きさの門はほしいよなあ。そうすると出入り口の幅はこれくらいがいいよなあ。そこに柱を建てるわけだけど、普通に中央を空けるような柱配置にすると、どうもそれぞれの柱間隔が広すぎるようになってしまって、ちょっと構造的にあぶないよ。そしたら1本柱を増やすか。門の真ん中に柱が建ってしまうけど、べつに通れないわけではないし、かまへんやん。」という感じで、そのように施工されたというわけである。
それを後世の人が、ああでもないこうでもないと、小難しい理屈をひねり出して論じているだけであって、安田女史曰く、「昔の人は大らかで、そんか難しいこと何も考えてへんねん。あの礎石を見たらわかるやん。」と、こうなるわけである。

ついでに法隆寺のもう一つの謎として、その伽藍配置があります。
当時の主要なお寺は、四天王寺にしても、東大寺にしても、薬師寺にしても、金堂や塔の配置が、左右対称になるようになっているのに、法隆寺では、中門を入ると、左に塔が建っていて、右に金堂が建っていて、左右非対称の配置になっています。(次の写真は、中門から北を見たところ。)

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この左右非対称配置は、その当時、2,3の寺で採用された例はあったようですが、きわめて少なく、残存している例は法隆寺しかありません。なぜ法隆寺では、このような配置にしたのか。

これについても梅原猛は鎮魂鎮魂と言い、武澤氏は機能とデザインと言うわけですが、安田女史は違います。
法隆寺の回廊で囲まれたスペースの北側は、すぐに斜面となっています。で、当時の設計者と施工者曰く「あの斜面を削るのは大変やから、やめとこな。せやけど、そうなると南北が狭くなってしもうて、塔と金堂を前後に建てるのは無理やで。そしたら左右に建てたらええやん。左右対称にはならへんけど、べつにかまへんのとちゃうん。かえっておもしろいやん。」というわけで、ここにおいても、古代の人たちの大らかな発想、というか無理しないという自然態の心、というか、ええようにしたらええやん、というこだわらない心が、大いに発揮されたわけです。

以上、法隆寺の謎に対する、安田倫子説をご紹介しました。
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