バロック・アンサンブル随想(1)
2013-02-07
(この記事は、2011年10月にMIXIに投稿した記事の再録です。)
------------------------------
私は1か月に1,2回、仲間とバロックアンサンブルを楽しんでいます。そして、その様子は必ずICレコーダーで録音して、後で聴いています。そうすると、演奏しているときは分からなかったいろいろなことが、わかります。
先日の集まりは、5人でした。いろいろな作曲家のトリオ・ソナタを中心に6曲演奏して楽しみましたが、私はその内2曲をフラウト・トラヴェルソ、3曲をヴィオラ・ダ・ガンバで参加しました。
今回の録音で、私が自分のガンバの演奏で感じたのは、各曲の各楽章の最後の音が、荒っぽくなっているということで、それが耳につきました。
私がガンバを弾いた3曲12楽章のうち、8つもの楽章が最後の音が開放弦で終わるのですが、それが、いずれも丁寧さを欠いていました。開放弦の音は、ただでさえ荒くなりがちなのに、最後まで弾けたという開放感というか安心感のために、ぞんざいになってしまったのだと思います。最後の音まで、というより最後の音こそ、最も丁寧に弾かなければならないと反省しました。
それといつも思うのですが、自分ではかなり小さい音で弾いているつもりでも、録音を聴くと、意外と大きな音で聞こえます。これはバロック音楽では低弦の音とチェンバロの左手が重なっているということもあるのだと思いますが、それを差し引いても、意外とよく聞こえています。
以前に、一緒にアンサンブルをした人が、私のガンバについて、「そんなに強く弾かなくても、ちゃんと聞こえていますよ。」とおっしゃったことがあります。それから、音量には気をつけるようにしているのですが、それでも興に乗ってくると、ついつい弾きすぎてしまうことがあります。
そもそも、バロック室内楽の低弦のパート譜には、よく「Violoncello o Viola da gamba ad lib.」と書いてあります。これは「チェロまたはガンバは、ご自由に」(つまり合奏に加わっても加わらなくても、どちらでもよい)ということですが、「Cembalo ad lib.」とは決して書かれていません。つまり、チェンバロは絶対必要だけど、低弦は、あってもなくても、どっちでもよいということです。であるならば、低弦が入って、通奏低音が、より良くなるのでなければ、意味がないわけです。
では、より良くなるというのは、どうなることかというと、通奏低音の主役であるチェンバロを補助して、その表現を豊かにすることにあると思います。
チェンバロは鍵盤楽器ですから、どうしても一旦出た音は時間とともに直線的に減衰するわけで、しかもその発音機構上、強弱や音色の変化をつけにくいという特性があります。私は、そのことが鍵盤楽器の欠点とか弱点であるとは必ずしも思いませんが、曲想によっては、何らかの変化がほしい場合があると思います。
それを助けるのが低弦の役割で、私個人的には、低弦が入ることによって、あたかもチェンバロの低音(左手)の音が長く伸びたり、自由な強弱をつけたり、音色や表情の変化をつけたりしているように聞こえるというのが理想だと思っています。
まあ、なかなか理想通りのことはできませんが、すこしでもそれに近づけることができればと思っています。
------------------------------
私は1か月に1,2回、仲間とバロックアンサンブルを楽しんでいます。そして、その様子は必ずICレコーダーで録音して、後で聴いています。そうすると、演奏しているときは分からなかったいろいろなことが、わかります。
先日の集まりは、5人でした。いろいろな作曲家のトリオ・ソナタを中心に6曲演奏して楽しみましたが、私はその内2曲をフラウト・トラヴェルソ、3曲をヴィオラ・ダ・ガンバで参加しました。
今回の録音で、私が自分のガンバの演奏で感じたのは、各曲の各楽章の最後の音が、荒っぽくなっているということで、それが耳につきました。
私がガンバを弾いた3曲12楽章のうち、8つもの楽章が最後の音が開放弦で終わるのですが、それが、いずれも丁寧さを欠いていました。開放弦の音は、ただでさえ荒くなりがちなのに、最後まで弾けたという開放感というか安心感のために、ぞんざいになってしまったのだと思います。最後の音まで、というより最後の音こそ、最も丁寧に弾かなければならないと反省しました。
それといつも思うのですが、自分ではかなり小さい音で弾いているつもりでも、録音を聴くと、意外と大きな音で聞こえます。これはバロック音楽では低弦の音とチェンバロの左手が重なっているということもあるのだと思いますが、それを差し引いても、意外とよく聞こえています。
以前に、一緒にアンサンブルをした人が、私のガンバについて、「そんなに強く弾かなくても、ちゃんと聞こえていますよ。」とおっしゃったことがあります。それから、音量には気をつけるようにしているのですが、それでも興に乗ってくると、ついつい弾きすぎてしまうことがあります。
そもそも、バロック室内楽の低弦のパート譜には、よく「Violoncello o Viola da gamba ad lib.」と書いてあります。これは「チェロまたはガンバは、ご自由に」(つまり合奏に加わっても加わらなくても、どちらでもよい)ということですが、「Cembalo ad lib.」とは決して書かれていません。つまり、チェンバロは絶対必要だけど、低弦は、あってもなくても、どっちでもよいということです。であるならば、低弦が入って、通奏低音が、より良くなるのでなければ、意味がないわけです。
では、より良くなるというのは、どうなることかというと、通奏低音の主役であるチェンバロを補助して、その表現を豊かにすることにあると思います。
チェンバロは鍵盤楽器ですから、どうしても一旦出た音は時間とともに直線的に減衰するわけで、しかもその発音機構上、強弱や音色の変化をつけにくいという特性があります。私は、そのことが鍵盤楽器の欠点とか弱点であるとは必ずしも思いませんが、曲想によっては、何らかの変化がほしい場合があると思います。
それを助けるのが低弦の役割で、私個人的には、低弦が入ることによって、あたかもチェンバロの低音(左手)の音が長く伸びたり、自由な強弱をつけたり、音色や表情の変化をつけたりしているように聞こえるというのが理想だと思っています。
まあ、なかなか理想通りのことはできませんが、すこしでもそれに近づけることができればと思っています。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://mearch.blog62.fc2.com/tb.php/176-eb78680d